2016
01.09

人間の基本(曽野綾子さん)の「人間の自由」についての文章を読んで思ったこと

読書

 

個人的に曽野綾子さんの大ファンで書籍はほとんど読みました。最近読んで響いた言葉があったので是非紹介したいと思います。人間の自由について書かれていた内容です。

『人間の基本』より、

インドのヴァナラシに、古くから知り合いのインド人親父をお誘いした時でした。修道者ですから貧しく暮らしておられるし、私が飛行機代も出しますから、と言ってヴァナラシの私の知人がかつて泊まったことのある河畔の安いゲストハウスを訪ねることになりました。確か一泊百円ぐらいで、男女十数人が入る鰻の寝床みたいな部屋には着替えをするための衝立もないんです。昼も夜も誰かが寝ているので沈黙の規則があり静かなところでした。

その時、たまたま一人の気さくな日本人女性がいて、インドへ来るまでの話をしてくれました。彼女が何ヶ月も前から滞在していると言うので「お金は親御さんから?」と尋ねると、「いえ、ちゃんと働いて自分でお金を貯めました。飛行機も一番安いチケットを買い、いられるだけいるつもりです」といいます。

そこを出てから、神父様に彼女の印象を聞くと「私はあの女性が、決して自由だと思わない」と言うのです。

「そんなことないでしょう?あの女性は自分の意思でここに来て、金銭的にも親から自立しているじゃないですか」

「いや、自由というものは義務を果たしていてこそ自由なのだから。彼女は何も義務を果たしていない

さらりと言いました。すでに子供ではない成人が、自分で働いて貯めたお金で臨む土地にやってきたのは、個人の自由だという理屈はあります。しかし、この世の様々なしがらみの中で自分が生きている意味を考えると、何もせず日々を過ごしているのは、決して本ものの自由な人間ではない、と言うのです。

それは日本人にない視点でした。人間の自由には常に制限や義務が伴う。そうでなければ、この世、というか、地球上の生活は現実として成り立っていかないんでしょうね。その基本をきちんと教えることが大切です。

 

人間の自由には常に制限や義務が伴う、何もせず日々を過ごしているのは決して本ものの自由な人間ではない、それがベースとなって世の中は成り立っているとまとめられています。

曽野綾子さんの本を読むと、”本ものの人”というのがどういうことかについてよく考えさせられます。頷くばかりなのです。こうした部分はドラッカーの自由について言葉とも共通します。

自由についてのドラッカーの言葉を引用します。

「自由とは、責任ある選択をすること」

ドラッカーがいうには、自由とは何でもかんでもしていいということではけっしてない。そこで何かを選択するときには、必ず責任が伴う。

つまり、選択の自由は「責任という型」の中にあるというのだ。そして、その型の中で選択するからこそ、逆に自由だというのである。

ドラッカーの言葉、曽野綾子さんの文章を読むと、一見自由に見える”本ものの人”がどういう型を身につけているのか何となく分かりますね。自分の中の「責任という型(あり方)」を磨き続け、その型を使い世の中に貢献するということが染み付いているのが分かります。それが最高の型なのです。

こうした天才の文章からは不安定な時代を生きるための型(あり方)を学ぶことができるため欠かすことはできません。

しかし、最も崇高な部類の型であるため、そんなのすぐにできたら苦労はしないよねと思っちゃったりします。step-by-stepにベイビーステップを心がけたいと思います。

そんなことを思いながらまたメモした次第でした。

それでわ。

 

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